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田中勉 (野球)[たなか つとむ]
田中 勉(たなか つとむ、1939年10月10日 - )は、福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(投手)。 史上9人目の完全試合達成者。 == 来歴・人物 == 三池工業高校では夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、小倉高に敗退。卒業後は東洋高圧大牟田に入社。の都市対抗に出場するが、2回戦(初戦)で松下電器に1-2で惜敗。翌の大会では2回戦(初戦)で日本鉱業日立を2安打完封。準々決勝では富士鉄広畑の大工勝投手と12回を投げ合い1-1で引き分け。再試合でも6回からリリーフで登板するが、連投の大工に0-5で完封負けを喫した。チームメートに淡河弘捕手がいる。 この大会後に西鉄ライオンズに入団。2年目のには先発の一角として起用され6勝。には17勝を挙げ、勝率.680で最高勝率のタイトルを獲得する。5月12日の対南海ホークス戦で完全試合を達成〔7番打者に代打で確信 田中勉 月間2人目の完全試合達成 〕。同年は23勝12敗、217奪三振を記録して最多奪三振投手となり、ベストナインに輝く。 その後シュートの多投がもとで肘を傷め、に広野功との交換トレードで中日ドラゴンズに移籍。同年に11勝を挙げ、6年連続2桁勝利を記録。翌にも8勝を挙げたが、週刊誌にプロ野球八百長事件に絡んだとして名前が挙がると中日を自由契約になり、そのまま現役引退〔。翌に黒い霧事件に関与したとして逮捕された〔田中は西鉄時代の同僚だった池永正明に八百長で得た現金100万円を預かるよう指示、これがもとで池永も球界から永久追放となった。〕。逮捕された時点で引退していたためNPBからこれ以上の処分は出なかったが、事実上の永久追放となった。その後は、割烹料理店や健康食品販売などを経営するなどしていた〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田中勉 (野球)」の詳細全文を読む
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